『風の谷のナウシカ』を久しぶりに観ると、子どもの頃とはまったく違うところが気になったりしませんか?
子どもの頃は王蟲の迫力や巨神兵の怖さに夢中だったのに、大人になってから観ると、登場人物の関係や映画のその後が妙に気になってくるんですよね。
その中でも、個人的に気になる人物の一人がペジテの少年・アスベルです。
腐海の底でナウシカと二人きりになり、最初は敵同士だったはずなのに、いつの間にかお互いを理解していく。
あの流れを見ていると、
「これ、もしかしてナウシカとアスベルって、この後いい感じになるんじゃない?」
と思った人も多いのではないでしょうか。
ところが映画の最後まで観ても、二人の恋愛について明確な答えはありません。
それどころか、「そういえばアスベルって最後どうなったんだっけ?」「原作ではナウシカと結ばれるの?」と、いろいろ疑問が残ります。
そして『風の谷のナウシカ』の面白いところは、ここからなんです。
1984年に公開された映画版は、宮崎駿監督自身が描いた原作漫画全7巻の物語をそのまま映像化した作品ではありません。
漫画版は映画公開後も描き続けられ、最終的に映画とは大きく異なる、はるかに壮大な物語へと発展していきました。
つまり、映画だけでは分からなかったアスベルのその後も、漫画を読むとかなり違った姿が見えてきます。
今回はアスベルは最後まで生きているのか、ナウシカとの関係はどうなるのかを中心に、ラステルや巨神兵、腐海の秘密、そして原作漫画の結末まで掘り下げてみます。
ここから先は映画版だけでなく、原作漫画全7巻の重大なネタバレを含みます。
アスベルは死んだ?結論、映画でも原作でも生きています
まず一番気になるところから。
アスベルは映画版で死亡していません。
ペジテ市を失い、妹のラステルまで亡くし、自身も腐海へ墜落するなど、とんでもない目に遭っていますが、映画の物語を最後まで生き延びています。
そして原作漫画でも、アスベルの物語はそこで終わりません。
むしろ映画では描かれなかった戦争や土鬼(ドルク)との関わりなどを通して、さらに長い旅をすることになります。
映画だけを観ていると「ペジテの勇敢な少年」という印象が強いアスベルですが、原作では世界そのものが大きく広がるため、彼もその激動に巻き込まれていきます。
映画でアスベルが好きになった人ほど、漫画版を読むと「この後こんなことになっていたのか……」と驚くんじゃないでしょうか。
ナウシカとアスベルは結局、恋人になったの?
これも映画を観た後に気になるところですよね。
腐海の底で二人が過ごす場面は、かなり印象的です。
ナウシカはアスベルの前で感情をあらわにし、アスベルもまた彼女を理解していきます。
普通の物語なら、ここから恋愛関係へ発展してもまったく不思議ではありません。
でも『ナウシカ』は、そこへ一直線には進みません。
原作漫画でも、ナウシカとアスベルが恋人同士になったり、結婚したりする展開は描かれていません。
二人の間には強い信頼がありますが、それを単純な恋愛として決着させないところが、この作品らしいところなのかもしれません。
原作でアスベルと行動を共にする「ケチャ」
そして映画には登場しない重要人物が、土鬼の少女ケチャです。
原作を読み始めて「映画と全然違う話になってきたぞ」と感じる頃に、このケチャをはじめ、映画では見たことのない人物たちが次々と登場してきます。
アスベルとケチャは、物語の中で行動を共にするようになります。
二人の関係についてはネット上で「結婚した」「恋人になった」と断定されることもありますが、原作の描写はそこまで単純ではありません。
最終盤では二人の強いつながりを感じさせる展開がありますが、恋愛や結婚について細部まで明言されているわけではないため、「アスベルは最終的にケチャと結婚した」とまで断定するのは避けたほうがいいでしょう。
ただ、少なくとも映画を観た時に想像するような「アスベルとナウシカがそのまま恋人になる物語」ではないことは確かです。
では、ナウシカは誰かと結ばれるのか?
ここもよく話題になるところです。
原作には「森の人」セルムという青年が登場します。
セルムはナウシカと深い精神的な交流を持つ人物で、二人の間には他の登場人物とは少し違ったつながりが描かれています。
そのため「ナウシカの相手はセルム」と紹介されることがあります。
ただし、こちらも一般的な恋愛漫画のように、
「二人が付き合いました」
「結婚しました」
と明確に描かれるわけではありません。
『ナウシカ』の後半は、恋愛の行方よりも「人間とは何なのか」「命とは何なのか」というところまで話が進んでいきます。
なので、ナウシカ、アスベル、セルム、ケチャの関係を単純な恋愛相関図だけで整理してしまうと、ちょっともったいない気がします。
アスベルの妹・ラステル|映画と原作では何が違う?
アスベルを語るなら、やはり妹のラステルも外せません。
映画冒頭、トルメキアの大型船が風の谷の近くへ墜落します。
その船に乗っていたのが、ペジテ市の王族の少女ラステルでした。
ナウシカに助け出された時にはすでに瀕死の状態で、彼女は最期を迎えます。
この場面、映画と漫画では重要な違いがあります。
映画版では、ラステルは積荷についてナウシカへ訴えます。
その積荷こそ、後に物語の中心へ関わってくる巨神兵です。
一方、原作では巨神兵に関係する「秘石」が重要な意味を持っています。
この秘石をめぐってペジテ、トルメキア、そしてナウシカたちの運命が動いていきます。
映画では上映時間の中で物語を成立させる必要があるため、このあたりの政治的な駆け引きや設定はかなり整理されています。
漫画を読むと、「映画ではこんなにシンプルになっていたんだ」と驚く部分の一つです。
映画の巨神兵と、原作の巨神兵はまったく印象が違う
そして、個人的に原作漫画を読んで一番印象が変わったのが巨神兵でした。
映画の巨神兵といえば、クシャナが復活を急がせた結果、十分に身体が完成しないまま登場します。
強烈な光を放つものの、その肉体は崩れ落ちていく。
「旧世界を滅ぼした恐ろしい兵器」という印象ですよね。
ところが原作の巨神兵は、単なる巨大兵器では終わりません。
ナウシカは巨神兵に「オーマ」という名前を与えます。
するとオーマは、まるで一人の人格を持った存在のようになっていきます。
ナウシカを母のように慕う一方、とてつもない破壊力を持っている。
この関係が、ものすごく切ないんです。
映画しか知らない状態で原作を読むと、「あの巨神兵にこんな物語があったの?」となると思います。
そして明かされる「腐海の正体」
ここからは原作漫画最大級のネタバレです。
映画版では、腐海について「汚染された大地を浄化している存在」であることが明らかになります。
ナウシカとアスベルが腐海の底へ落ちた場面で、その秘密の一端が描かれましたよね。
毒を出しているように見えた植物も、実は汚染された土や水の中で育ったから毒を持っていた。
腐海の底では、水も空気も清らかだった。
ここだけでも十分衝撃的です。
ところが原作漫画は、さらにその先へ行きます。
物語終盤で見えてくるのは、腐海という巨大な生態系そのものが、旧世界の文明と深く関係しているという事実です。
つまり、「自然が人類に復讐している」という単純な話ではなかったんですね。
人類が壊してしまった世界。
その世界を長い時間をかけて浄化していく仕組み。
そして、その世界で生きる人間たち。
ここまで来ると、映画の「自然を大切にしましょう」というイメージだけでは、とても説明できない作品になっていきます。
さらに恐ろしいのは「人間の身体」の秘密
そして原作終盤でもう一つ明らかになるのが、ナウシカたち自身の身体についてです。
ナウシカたちは、汚染された世界の中でも生きられる身体を持っています。
ところが、それは裏を返せば現在の環境に適応した人間だということでもあります。
腐海による浄化が進み、かつてのような清浄な世界へ戻った時、現在の人類がそのまま生きられるとは限らない。
「腐海が世界をきれいにしてくれれば、いつか人間は幸せに暮らせる」
映画を観ていると、なんとなくそんな未来を想像してしまいます。
でも原作は、その希望にまで疑問を突きつけてくるんです。
ここまで知った時、僕は「これは本当にあの映画の続きなのか?」と思いました。
それくらい世界の見え方が変わります。
シュワの墓所でナウシカが選んだもの
原作漫画の最終盤、ナウシカはシュワの墓所へたどり着きます。
そこには旧世界から引き継がれてきた知識や技術、そして未来へ向けた計画が残されていました。
そこでナウシカは、とてつもなく大きな選択を迫られます。
あらかじめ設計された「正しい未来」に従うのか。
それとも、不完全で苦しみに満ちていたとしても、今ここに存在している命を選ぶのか。
ナウシカが選ぶのは後者です。
未来が保証されているから生きるのではない。
自分たちが完全な存在だから生きるのでもない。
苦しみも、間違いも、矛盾も抱えながら、それでも今ある命を生きていく。
この結末まで読むと、『風の谷のナウシカ』という作品の印象は映画版から大きく変わると思います。
映画の「奇跡の復活」はどう考えればいい?
映画版でもう一つ、ずっと語られているのがラストシーンです。
暴走する王蟲の群れを止めるため、ナウシカはその前へ立ちはだかります。
そして王蟲の群れに跳ね飛ばされ、動かなくなる。
その後、王蟲たちの金色の触手に包まれ、ナウシカは再び立ち上がります。
あの場面を見れば、「ナウシカは一度死んで生き返ったの?」と思いますよね。
ただ、ここは「完全に死亡した後、細胞レベルで蘇生された」といった医学的な設定まで公式に確定している、と断定する必要はないと思います。
重要なのは、映画の物語としてナウシカの帰還が「奇跡」のように演出されていることです。
そして、その姿が伝承にある「青き衣をまとった者」と重なります。
だからこそ、あの場面には強烈な宗教的・神話的イメージを感じる人も多いのでしょう。
宮崎駿監督は映画版の結末をどう考えていたのか
ここもネットでは少し話が大きくなりやすいところです。
宮崎駿監督が、映画版『ナウシカ』の結末について後に批判的に振り返ったことは知られています。
ただ、それを「映画版のラストを完全に失敗作だと認めた」「宗教映画になったことを生涯後悔した」といった一言だけでまとめてしまうと、少し単純化しすぎかもしれません。
むしろ興味深いのは、映画を完成させた後も宮崎監督自身が『ナウシカ』という物語について考え続けたことです。
漫画版の連載は映画公開後も続き、物語はどんどん複雑になっていきます。
善い自然と悪い文明。
救世主と救われる民衆。
そんな分かりやすい構図では終わらないところまで、作品そのものを掘り下げていった。
だから映画と漫画を比べると、「同じナウシカなのに、ここまで違うのか」と感じるのではないでしょうか。
アスベルは結局、どんな人物だったのか
ここで最初の話に戻ります。
アスベルは生きています。
そしてナウシカとは恋人になりません。
でも、だからといって「結ばれなかった脇役」で終わる人物でもありません。
故郷ペジテを失い、妹ラステルを失い、自分自身も復讐心に突き動かされる。
そこからナウシカと出会い、世界には自分が思っていた以上に複雑な事情があることを知っていく。
そう考えるとアスベルもまた、ナウシカと同じように「憎しみの連鎖から、その先へ進もうとした若者」なのかもしれません。
ナウシカの恋人にならなかったからこそ、一人の独立した人物として生きる道が残された。
僕は原作を読むと、そんなふうにも感じます。
まとめ|映画を観た後こそ、原作漫画を読んでほしい
映画版『風の谷のナウシカ』だけを観ると、アスベルはナウシカと出会い、共に危機を乗り越えた少年として物語を終えます。
でも原作漫画では、その世界はまだまだ続いています。
アスベルやケチャ、セルム。
人格を持つようになっていく巨神兵オーマ。
土鬼とトルメキアの戦争。
腐海の秘密。
そしてシュワの墓所でナウシカが突きつけられる、世界そのものに関わる選択。
映画を観て「自然と人間の共存を描いた作品」だと思っていた人ほど、原作漫画を読むと驚くかもしれません。
もちろん映画版だけでも、一つの作品としてきれいに完成しています。
でも、その先に宮崎駿監督が長い時間をかけて描いた、もっと複雑で、もっと苦く、それでも「生きること」を肯定しようとする物語がある。
そしてアスベルも、その世界を最後まで生きる人物の一人です。
「アスベルって結局どうなったんだろう?」
そんな小さな疑問から原作を読み始めてみると、気がつけば映画とはまったく違う『風の谷のナウシカ』の世界に引き込まれているかもしれません。
映画しか観たことがない方は、ぜひ原作漫画全7巻も読んでみてください。
そして読み終わったあと、もう一度映画を観てみる。
きっと最初に観た時とは、ナウシカもアスベルも、そして王蟲たちの姿まで少し違って見えてくると思います。
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